家のこと~障子張替えに日本のモノづくりを思う
【過去記事20211114】 Blog11
年末が見えてきました。街中はクリスマスツリーを飾り始めました。この年齢になると、正直クリスマスは食傷気味であり、義務感が付きまといます。
さて、寒くなるので、障子を張り替えました。子供が破ってしまって、セットごと、替えてみました。昔からある障子なので、20年ぶりなのでしょうか?
張り替える前に、じっと障子を眺めると、清々しい「日本のモノづくり」について考えさせられます。
まず、「紙」を建築に使うのは日本独自だと言います。障子は、ふすまや扉とは違って、「ついたて」や「開口部」という機能だけでなく、「明かり」をとる機能も兼ね備えています。夜でも意外と明るいですし、朝起きて真っ暗な部屋のカーテンを開く憂鬱さに比べて、障子を通した朝の自然な拡散光は寝ぼけた私を清々しい気持ちにさせます。
翻って、西洋の建築は石・レンガ・セメントの文化なので、19世紀大きなガラスが量産するまでは、室内には「明かり」が乏しく、「光」がある意味神聖化されたような気がします。ローマのパンテオン神殿の天窓を見ると、いかに光が西洋の人たちには大切だったかが感じます。聖書の最初に「光あれ」と書いている意味が私はぴんと来ないのは、ひょっとして建物の違いからくるのかもしれません。
「紙」は断熱もできます。調べてみると、熱伝導率W/m・Kは、鉄84、コンクリ・ガラス0.5、木材0.2,「紙0.06」、グラスウール(断熱材)0.03と、断熱材並み。
また、何といっても「軽い」(指一本で動かせる)こと。しかも、障子の張替えでは、水でぬらすと、ノリがきれいにはがれて、骨組みは繰り返し再利用できます。最近のSDGsにも持って来いですね。結露もしません。(ガラスは交換・結露も大変)
見事としか思えません。
更に、障子紙、障子のフレームを見ると、職人さんや木枠メーカーさんの心意気を感じてしまいます。
まず、無駄なくピン角で障子を張っている職人さんの技術に感心しますし、写真ではわかりにくいですが、障子紙のノリ代の木枠部分は紙一枚分段差をつけるように削られています。そうすれば、はがれにくく、長持ちすることを知って施しているのだと思います。
これはお金儲けということではなく、また「こだわり」というような目立ちたがりでもなく、それが単にいいからやっているという野武士さを私は勝手に感じ、心を打たれます。
仮想通貨や難しい金融商品で莫大なお金が一瞬で動き、量産品があふれる中、汗をかき汚れて、時に危険を感じながら時間をかけてモノを作っていることが要領が悪いように思われる世の中になっていますが、手づくりはそのような世の中の動きを超越したところにあるのかもしれません。
・・・と、偉そうに講釈を垂れましたが、私の障子の張替えは、既製品と化学製品である両面粘着テーブを使って、シワにならないよう気を付けて、無事に出来上がりました。(意外と難しいです)
出来上がったものを見るのがうれしいと思う「気持ち」が、手づくりの本質であり、せめてもの、世の中での意義なのかもしれません。