宅建士(宅地建物取引士)~私の場合の活かし方
宅建士(宅地建物取引士)の資格をもっています。宅建士は、不動産(簡単に言えば、家・土地)を売買するときに、不動産業者では法的に必要なポジションです。具体的には、不動産の売り主と買い主の間に立つ不動産業者において、契約前の重要事項の説明と契約時の契約書の記名押印の責任があります。住宅ローンを組む際にも宅建士の記名が必要な場合があります。
私は、その資格を会社に入社して6年目に取得しました。仕事とは関係ない資格ですが、取得した理由は、当時いろいろありました。
一つは当時父親が亡くなり、その後残された母親が住む東京の土地が相続で不安な権利状態になる可能性があったので、事前に法律知識を学んでおきたかったから。(その不安は20年後に結局杞憂に終わり、今現在も無事に住み続けています。)
二つ目は、当時工場に勤務しており、毎日その工場で生産する計画を工場に伝える役割(工程業務といいます)に従事しており、17時までにその計画をシステムに登録して、夜23時の夜勤番に伝えることとなっていました。しかしそのシステムが今と違って現場に電送されるのに2,3時間かかっていました。そのため、夕方以降工場事務室でやることがなく、窓から見える夜の工場の明かりや煙を見ながら、参考書を読み始めたのがきっかけでした。
最後に、やはり当時から「この会社に居続けて良いのか?」という思いがありましたので、社内異動・転職をうっすら考えていたのも理由の一つでした。
宅建士(当時宅地建物取引主任者)試験は、今でも合格率15%前後でまあまあ難しい試験かもしれません。試験内容は、民法(権利関係)・借地借家法・宅建業法・法令上の制限・税制ほかで50問でした。経済学部出身の私としては、法律の勉強が目新しく楽しく勉強していました。
例えば、日本の借地借家法は独特で、借りる人が家賃を減額請求できるのに、大家さんは勝手に家賃を値上げしたり、勝手に退去させられないなど、借りる人にやさしい法律になっていること。また、自宅の火災で隣家を類焼させた場合、なんと隣家の修復に火災を出した人が損害賠償をする必要がない(失火責任法)など。日本の歴史に根ざしたルールがあることを興味深く勉強しました。
その試験に受かったところで、システム子会社の総務部に出向となり、奇しくも宅建士資格を生かせる不動産管理を仕事として携わるようになりました。2000年当時はインターネット黎明期で、世の中のシステム会社が急成長する時代でした。その会社もそれまでは倒産寸前だったところが急回復して、SEをどんどん増やして毎年オフィスを借り増ししていきました。当時10ビル程を借りていたと思います。本社機能のあるビルオーナーが怪しいので移転しようという話が合ったり、不動産の仕事はきな臭い話が多いと思いました。いよいよ、その会社が株式上場もあり資金力が出て、近くで新築されるビルに一部の事業部を入居させるという案件を業務として引き継ぎました。定期借家契約で賃料が安くなるということで引き継ぎましたが、まだ形になっていないオフィスでどのようなものが必要でどのくらいのお金が初期費用でかかるか全くわからない中で不動産業者・ゼネコンと交渉することとなりました。例えば、「お宅の会社はIT会社でありメインコンピュータほかには電力設備が個別に必要です」とけしかけられました。既存オフィスならばそのような設備が揃っているビルと家賃交渉すればよいだけなのに、屋上の電気設備の大きな費用負担を求められ予算見直しを迫られ社内で苦労しました。ゼネコンとの会議にも参加させられたり、今考えるとテナント会社がなぜ参加しなければならなかったのか不思議でした。当時の社長に、「こんなに初期費用がかかるのか」と呆れられました。不動産・建築の知識がないことで、不動産業者・ゼネコンとの駆け引きで初期費用を多く負担させられたのではないかと敗北感を今でも悔しく思います。相手だったその不動産業者はドラマ他によくある怖い雰囲気を覚えています。不動産業は、玄人の不動産業者が素人の購入者・テナントを簡単に食い物にできる怖い商売だと感じました。あれから20年、先週久しぶりにそのビルの前を通り、当時を思い出しました。
それ以降20年不動産とのかかわりはありませんでしたが、いよいよ会社を去る間際になり、資格を生かして次のステップを考え、宅建士証を更新し、いつでも不動産業になれるようにしてみました。
久しぶりの講習を受けて免状を取得しましたが、20年も経つとニーズも変わってきており、上記の役割だけでなく追加の役割として講習を受けることとなりました。それは「賃貸不動産管理」の業務管理者です。この話は、世の中のニーズ含めて次回に。
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